なかむの日常

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小学生

 今日、車に乗っていた時、下校中の小学生を見た。下校中の小学生を見たのは久しぶりだった。普段この時間 外に出ないからかな?

 小学生を見て思うのは、ランドセルと黄色の安全帽は必要か?ということ。なんで、小学生は学校へランドセルと安全帽をかぶっていかなければいけないのだろう。僕には不思議でならない。かばんはランドセルである必然性はないし、帽子も普通の帽子じゃだめなのだろうか?これと言った理由は何一つないと思う。ただ昔からランドセルに黄色の安全帽が古くからのしきたりだったから、みんななにも疑わずにそのままその文化を受け入れている。そして、この古い常識にいつまでも縛られていることに驚く。個性が全くないので、全員同じ人に見える。これは登下校の服装に限らず学校教育全般において言える。

 例えば、「廊下は走ってはいけない」とか「学校の時間割」などなど。

  僕は廊下を走っていて、怒られたことがある。廊下を走っていたら人にぶつかってけがをするでしょう!と先生に叱られた。ある日、月のクラス目標決めで「廊下を走っている人を見つけたら、その人を指さしてストップ10を言うこと」決まった時、なんじゃこりゃと思った。要するにストップ10と言われたら、10秒間その場で止まらなければならないというのだ。僕はこれをする意味が全く理解できなかった。なんで、止まらなければならないんだ、授業で遅れそうなときは誰だって廊下を走ったりするだろう。生徒に限らず先生も。大体教師の言うことは矛盾している。生徒が走っているときは注意するのに、先生はあれこれ理由をつけて廊下を走ることは悪くないとかいう。自分の否は一切認めないこれも立場上、生徒より偉いと思ってるから言えるんだろうな。

 時間割に関しては、カリキュラムそのものがおかしい。学校で学ぶことのほとんどは本当にこれ必要なのか?というものが多い。

 水泳の授業は必修で、夏になるとプールでの授業が行われ、25mを泳がされたりする。さらにはタイムをカウントしたりもする。当然泳げない子もいるだろう。僕は泳げない子に無理やり泳がせる必要はないと感じる。そんなことをしても泳げない子が苦しいだけ。音楽の授業でリコーダーを学ばせ、ある日にテストを行い、テストに合格するまで練習させる。リコーダーを学んだところで将来、何の役にも立たない。音楽関係の仕事をしなければ、関わる機会は無縁だろう。まとめると、できないことを無理なやらせる必要はない。

 これらのことから、学校教育には無駄が多い。そして、その教育に従っている子供を見て、奴隷化された軍隊だと思う。小学生の当時は学校教育に関して疑問に思わなかったが、大人になった今、変な仕組みだったなと改めて気づいた。

 これも、大人や学校の先生が言うことは正しいと思い込んでいたからだろう。思い込んでいたというより教え込まされたといったほうが適切か。子供たちは学校教育に洗脳されていたのだ。自分で考えることを放棄し。親や学校の先生が言うことがすべて正しい、そしてそれに反論すると叱られる。だから、子供は反抗せず、大人の言うことをそのまま聞く。つまり思考停止状態に陥る。そして、そのまま、中学、高校、大学へと進み大人になる。そう、敷かれたレールを走るということ。そんな子供を大量に生産することに何の価値もない。

だからこそ、「これっておかしくない?」「これはどうなんだろう?」と自分の頭で物事を考える癖を身に付けることが大切だと思う。